オーバードライブ・ディストーション・ファズの回路:TS808、ケンタ系、RAT、Fuzz Face を ngspice で鳴らして聴き比べる
3 種類の違いは、ダイオードを OP アンプの帰還に入れるか、増幅のあとで GND へつなぐか、トランジスタそのものを飽和させるかです。代表的な 4 つの回路を ngspice で解き、同じギターの音を通して聴き比べられるようにしました。
3 種類の違いは、波形を潰す場所と素子
ギターの歪みエフェクトは、どれも「信号を大きく増幅して、決まった電圧で頭打ちにする」回路です。違うのは、頭打ちにする素子と、それを置く場所です。
| オーバードライブ | ディストーション | ファズ | |
|---|---|---|---|
| この記事の回路 | TS808、ケンタ系 | RAT | Fuzz Face |
| 潰す素子 | Si / Ge ダイオード | Si ダイオード | トランジスタ |
| 置き場所 | OP アンプの帰還(TS808)、ゲイン段のあとで GND へ(ケンタ系、原音と混ぜる) | 高利得の増幅段のあとで GND へ | 2 段の直結増幅そのもの |
| 波形 | 角の丸い台形、原音が残る | 上下が平らな台形 | 上下で形の違う矩形 |
| 多い倍音 | 奇数次 | 奇数次(さらに多い) | 奇数次と偶数次 |
下の図は、196Hz(G の音)、0.3V の正弦波を同じピックアップを通して各回路に入れたときの出力です。ダイオードを上下対称に置いた 3 つは、偶数次の倍音が −80dB 以下で、奇数次だけが出ます。3 次は TS808 で基本波の −15.7dB、RAT で −9.7dB です。Fuzz Face は波形の上下が対称でなく、2 次が −8.9dB と強く出ます。
試聴の条件:合成したギターの音を、ピックアップごと回路に通す
試聴音は実機の録音ではなく、回路シミュレータ ngspice(WebAssembly 版)で解いた結果です。入力のギターは、弦の振動を倍音ごとに計算するモード合成で作りました。ピックで弦を三角形に引いて離す形、弦の硬さによる倍音のずれ、高い倍音ほど早く消える減衰、縦横 2 方向の振動のわずかな違いを入れています。フレーズは E5 のパワーコード、A5 と G5 の刻み、E マイナー・ペンタトニックの単音、ビブラートで伸ばす高音、開放の E メジャーの 9.4 秒です。
ピックアップはシングルコイルとハムバッカーの 2 種類を用意し、プレーヤーの下で切り替えられます。シングルコイルはブリッジから 43mm に 1 個(L = 2.5H、R = 6.5kΩ、250kΩ のポット)、ハムバッカーは 40mm と 58mm の 2 つのコイルの和(L = 5H、R = 10kΩ、500kΩ のポット)で、出力はシングルコイルの約 1.8 倍です。どちらも自己容量 100pF と 3m のケーブル(300pF)を通してから各回路に入れています。弦のどの位置を拾うかで倍音の混ざり方が変わり、ピックアップのインピーダンスはファズの音を大きく変えるので、省略していません(ピックアップの等価回路)。
出力は 88.2kHz で取り、44.1kHz に間引いてから、音量を RMS で −20dBFS にそろえました。ペダルの Volume つまみで音量を合わせて比べるのと同じです。原音のようにピークの大きいものは、ピークが −1dBFS を超えないように抑えたので、そのぶん小さくなっています。
回路の出力をそのまま聴くと、ギターアンプのスピーカが削る 5kHz 以上の成分まで聞こえ、実際より耳障りです。プレーヤーの下のチェックが入っていると、ブラウザの中で 90Hz〜5kHz の帯域制限をかけて再生します。外すと回路の出力そのままです。
- 原音ピックアップ → ケーブル → アンプ入力(1MΩ)
TS808:帰還のダイオードで丸く潰し、低音は歪ませない
Ibanez TS808(Tube Screamer)の心臓は、OP アンプ(JRC4558)の非反転増幅です。帰還抵抗は 51kΩ + Drive(500kΩ)、反転入力から GND へは 4.7kΩ + 47nF です。利得は 1 + (51k + Drive) ÷ 4.7k で、Drive 最大で 118 倍(41dB)になります。
47nF があるので、この利得が出るのは 720Hz(1 ÷ (2π × 4.7k × 47n))より上だけです。それより下では利得が 1 倍に近づき、低音はほとんど歪みません。低い弦の基音まで潰すと和音が濁るので、そこを避ける定数です。
ダイオード 2 本は帰還抵抗と並列です。帰還抵抗の両端(出力と反転入力の間)の電圧が約 0.6V を超えるとダイオードが導通して帰還が深くなり、利得がなめらかに下がります。これがソフトクリップです。非反転増幅なので、入力そのもの(利得 1 倍ぶん)は必ず出力に残り、波形の角が丸くなります。
後ろのトーン段は 1kΩ + 0.22µF のローパス(723Hz)が基本で、20kΩ のトーンポットで高域を足し引きします。前段の 720Hz のハイパスと合わせて、中域が持ち上がった特性になります(図6)。
- TS808 Drive 中Drive 100kΩ(利得 33 倍)、Tone 中央
- TS808 Drive 最大Drive 500kΩ(利得 118 倍)、Tone 中央
ケンタ系:ゲルマニウムで潰した音に、原音を足す
Klon Centaur とその系統(ケンタ系)は、歪ませた信号と歪ませない信号を加算アンプで足す回路です。この記事の回路は、公開されている回路解析をもとに、構成(2 連の Gain ポット、ゲルマニウムダイオード、加算)だけを取り出して定数を丸めたもので、実機そのものではありません。
ゲイン段は非反転増幅で、利得は 482Hz より上で 1 + (2.2k + Gain2) ÷ 3.3k です。出力を 1kΩ 経由でゲルマニウムダイオード(1N34A)2 本に通し、GND へ潰します。ゲルマニウムの順方向電圧は約 0.3V で、シリコン(約 0.6V)の半分の電圧で頭打ちになります。
クリーンの経路は、入力バッファの出力を 15kΩ と Gain1(GND へ)で分圧して加算点へ送ります。2 つのポットは同じ軸で回るので、Gain を上げると Gain2 が増えて歪みが増え、同時に Gain1 が減って原音が減ります。この回路では、Gain 最小付近で原音の割合が 0.58、最大で 0.06(−20dB)です。
Gain を絞ったときは原音が主役で、ゲルマニウムで潰れた成分がその上に薄く乗ります。歪んで聞こえにくいのに音が太くなる、という評判はこの足し算から来ています。実機は OP アンプを 18V(チャージポンプで昇圧)で動かし、原音の経路が先に頭打ちにならないようにしています。シミュレーションでは ±9V で同じ振幅を確保しました。
下のミキサーでは、原音の量だけをスライダで変えて足し合わせられます。2 つの経路を別々に ngspice で解き、ページの中で足しています。加算アンプは線形なので、足した結果は回路全体を解いたものと同じです。
- ケンタ系 Gain 低めゲイン段 4.7 倍、原音の割合 0.58
- ケンタ系 Gain 最大ゲイン段 32 倍、原音の割合 0.06
ゲイン段は Gain 中央(16.8 倍)に固定し、加算点に入る原音の量だけを変えます。100% は Gain 最小のときの量、0% はゲルマニウムで潰した音だけです。実機では Gain つまみ 1 つで両方が同時に動きます。足し合わせても音量が変わらないように、全体の大きさをそろえています。
RAT:高い利得のあと、GND へのダイオードで平らに潰す
ProCo RAT は、OP アンプ LM308 の非反転増幅で大きく増幅し、そのあとでダイオード 2 本を GND へつないで潰します。反転入力から GND へは 47Ω + 2.2µF と 560Ω + 4.7µF の 2 本で、1.5kHz より上の利得は 1 + Distortion ÷ 43Ω、Distortion 最大で 2300 倍(67dB)です。
実際の利得は OP アンプが決めます。LM308 は 30pF の外付け補償で GBW が約 1MHz なので、2kHz での利得は 500 倍ほどで頭打ちになります。スルーレートも 0.3V/µs と遅く、大振幅の高域は三角波に近づきます。RAT の音に LM308 が欠かせないと言われるのはこのためです。
TS808 と違い、ダイオードは増幅段の外にあります。1kΩ を通った信号は ±0.6V でそのまま切られ、上下が平らなハードクリップになります。最後の Filter は 1.5kΩ + Filter ポット(100kΩ)と 3.3nF のローパスで、遮断周波数は 32kHz(ポット 0)から 475Hz(最大)まで動きます。試聴では 15kΩ(約 2.9kHz)にしました。
RAT のような 1970 年代のディストーションと、1990 年代以降のハイゲイン(Boss MT-2 Metal Zone)の回路の違いは、古いディストーションと現代のハイゲインで比べています。
- RAT Distortion 中Distortion 12kΩ(利得 280 倍)、Filter 2.9kHz
- RAT Distortion 最大Distortion 100kΩ(GBW で頭打ち)、Filter 2.9kHz
Fuzz Face:トランジスタ 2 石の飽和と遮断で潰す
Fuzz Face はダイオードを使いません。2 つのトランジスタを直結した増幅回路で、Q2 のエミッタから Q1 のベースへ 100kΩ で直流の帰還をかけ、動作点を決めています。Fuzz ポット(1kΩ)を 20µF でバイパスするほど交流の利得が上がります。
利得が大きいので、Q2 は信号の一方の向きで飽和(コレクタが約 0.9V まで下がる)し、反対の向きで遮断(9V 近くまで上がる)します。動作点の 4.4V から上下への振れ幅が違うので、波形は上下で形の違う矩形になり、2 次などの偶数次の倍音が出ます(図1)。
入力はコンデンサを通して Q1 のベースに直接つながり、入力インピーダンスが低い回路です。ピックアップのコイルやギターのボリュームと直接干渉するのはこのためで、前にバッファを置くと音が変わります。
オリジナルはゲルマニウムの PNP トランジスタで、ここではシリコンの NPN 版にしています。シリコン版は Q2 の動作点が下がるので、8.2kΩ を 5.6kΩ にしてコレクタを 4.4V にそろえました(シリコン版でよく行う調整です)。
- Fuzz Face Fuzz 中Fuzz ポットの半分をバイパス
- Fuzz Face Fuzz 最大1kΩ 全体をバイパス
周波数特性:どの帯域を持ち上げてから潰すか
同じ「潰す」回路でも、潰す前にどの帯域を持ち上げるかで音が変わります。下の図は、ダイオードが導通しない小さな信号での周波数特性で、1kHz を 0dB にそろえています。
TS808 は 800Hz 付近を頂点にした山で、20Hz では −24dB、6.3kHz で −13dB です。TS808 が「中域が出る」と言われるのは、この山がそのまま歪みの成分になるからです。ケンタ系は原音の経路が低音を運ぶので、20Hz でも −8dB にとどまり、6.3kHz でも −2dB です。RAT は 1.8kHz 付近に山があり、低域は TS808 と同じくらい切れています。
まとめて聴き比べる
同じフレーズを 9 通りの回路と設定に通した音です。和音を歪ませると、各音の周波数の和と差の成分(混変調)が出ます。パワーコード(ルート・5 度・オクターブ)ではその多くが元の音の倍音と重なりますが、3 度を含む最後の E メジャーでは重ならない成分が出て濁ります。ハードクリップほどこの成分が多くなります。
- 原音
- TS808 Drive 中
- TS808 Drive 最大
- ケンタ系 Gain 低め
- ケンタ系 Gain 最大
- RAT Distortion 中
- RAT Distortion 最大
- Fuzz Face Fuzz 中
- Fuzz Face Fuzz 最大
シミュレーションで省いたこと
- OP アンプは、GBW・スルーレート・出力の振れ幅だけを持たせた簡単なモデルです(JRC4558 は 3MHz・1V/µs、TL072 は 3MHz・13V/µs、LM308 は 1MHz・0.3V/µs)。雑音、入力オフセット、出力電流の制限は入れていません。
- OP アンプの回路は、実機の「9V 単電源 + 4.5V のバイアス」を「±4.5V の両電源」に置き換えています(ケンタ系は ±9V)。信号から見れば同じです。
- 入出力のバッファ(TS808 のトランジスタ、RAT の JFET)は理想的な電圧バッファにしています。
- ポットはつまみの位置を抵抗値に直した固定抵抗です。A カーブ・B カーブの違いは、抵抗値の選び方に含めています。
- ギターアンプとスピーカは入れていません。チェックを入れたときの帯域制限は、スピーカの帯域を大まかにまねたもので、特定のキャビネットの特性ではありません。
よくある質問
オーバードライブとディストーションの境目はどこですか。
ゲルマニウムとシリコンのダイオードで何が変わりますか。
TS808 が低音を歪ませないのはなぜですか。
ファズの前にバッファを置くと音が変わるのはなぜですか。
参考にした規格・資料
- ElectroSmash, "Tube Screamer Analysis" — TS808 の回路定数と、クリッピング段・トーン段の解析
- ElectroSmash, "Klon Centaur Analysis" — ケンタ系の構成(2 連ポット、ゲルマニウムダイオード、加算アンプ、チャージポンプ)
- ElectroSmash, "ProCo RAT Analysis" — RAT の利得の周波数特性、LM308 の補償、Filter の遮断周波数
- R. G. Keen, "The Technology of the Fuzz Face" — Fuzz Face の動作点と帰還、入力インピーダンスの解説
- ngspice User's Manual / EEcircuit-engine(ngspice の WebAssembly 版) — 過渡解析と小信号解析に使ったシミュレータ
- JRC4558、TL072、LM308、1N914、1N34A の各データシート — OP アンプの GBW・スルーレート、ダイオードの順方向特性